高校の時に部活で書いた小説を載せます
曰く憑きオカ研
◇
「死人に梔子」
「ただの供物じゃん」
◇
部室には人影がなかった。時計を確認する――午後四時五十分――真夏ゆえに外はまだ明るく、日光が西側から廊下に射し込んでいた。はて、と私はスマートフォンを取り出してラインを確認する。私の記憶違いという可能性も多分にあるだろう。私は別に注意深い方ではないし、予定を勘違うだなんて、ありそうな話だ。……しかし、集合時刻は今日の午後五時、と明記されている。部長に至っては、「忘れるなよ!」などと朝から部員のスマホを鳴らして私達を叩き起こしてくれている。場所も間違っていない。我らが高校の空き教室、オカ研の部室だ。つまるところが、私は何も間違えていないらしい。ならば、まだ部長すらいないというのは、やや、不自然だ。部長は時間に対してはわりと几帳面な人だから、集合時刻の十分ほど前には既に来ているものなのだが。
「……」
あまり、この部室には一人で居たくないのだ。
一人……いや、一人……ではないかもしれない。けれど、うん、一人でいい気がする。『これ』を人間とカウントするのは、流石に暴論だろう。
なるほどクローンや人工知能に対する人権を認めるかどうか、という問題にも繋がるような気がする。
人間と人間ならざるものとをどこで区別するべきかというのは実は確定的ではない。……正鵠を射ようとするならば、客観的には確定的ではあるけれども主観的には確定的ではないと表現した方がいいだろうか。人間から生まれ、人間の遺伝子を持っていれば人間だ。その定義は当然のことだと思う。しかしながら、そもそも遺伝子が存在するのか怪しい奴もいる。ホモ・サピエンスは「考える人」という意味だから、思考することができれば人間だと言うこともできるかもしれない。でも、それならば動物だって生き抜くために(多くは原始的な本能のようなものだろうが、それは人間も大差ないだろう)思考しているわけで、つまるところが結局のところ、この手の問は哲学にしか帰結しないので何の意味もない。
長々となにをしているのかって?
現実逃避だ。
この部屋にいるという現実からの。
「……ちょっと、仏頂面で俯いてないで話し相手になりなさいよ。貴女、視えるはずじゃない」
私が腰掛けようと手を掛けた椅子……の、机を挟んで反対側。入口から向かって奥側だから、上座ということになる。長机の長辺の真ん中って、お前それはどう考えても部長の席だろう、お前のような部外者……筋金入りの部外者が座るべきではないと思うが。
「……」
「ちょっと、なんで無視するのよ。私は暇なのよ、こんなところにずっと幽閉されて。あの腐れ外道霊媒師が居ないとこの部屋から出られないんだから……ねえ私地縛霊じゃないのよ、本物の怪異なのよ? 本来なら壁抜けして世界に羽撃く存在よ? ラップ現象もクイックシルバーも私にお任せなのよ? ねえ労ってくれてもいいんじゃないの? 貴女だって腐っても霊能者の端くれなんだし、霊から目を背けてないで私の方を向きなさいよねえスマホばっかり見て今の子はほんとに何が書いてあんのよそれ、彼氏? 彼氏からのメール? あー今はメールじゃないのかラインか、っていうかそれは今関係なくてとにかく私の話し相手になりなさいって話よ、まあどうせあの腐れ外道霊媒師(二回目)とかその他諸々がやって来たら騒がしくなるんだろうけれど、私はそれまですら暇なのよ、だってほら貴女が持ってるスマホとかもないしここで出来ることっていったら窓からカラスを眺める程度の」
「いつまで喋ってるんですか」
「貴女が喋ってくれる迄よ」
「……」
やっぱり、この部室には一人で居たくない。
なんたって、悪霊が憑いているのだから。
◇
「あんまり悪霊らしくないですよね」
「悪いわよ、駅のトイレの個室のドアとか悪戯でめっちゃ叩くし」
「生者の範疇」
◇
霊力、という概念がある。それは生者も幽霊も持つもので、霊力の強い幽霊は霊力の弱い生者からも見えるし、霊力の強い生者は霊力の弱い幽霊も見える。
このまえ部内の悪霊から聞いた。
「うるさいですよ」
「いいじゃない賑やかで」
「外から見たら私が一人で喋ってるみたいになるじゃないですか、私はそんな電波ちゃんだと思われたくありません」
「オカ研なんかに入ってる時点で手遅れよ」
悪霊の癖に正論である。
「で、えーと、比嘉ちゃん」
「宮園です」
一文字も合ってないし、そもそも文字数も違うし、似てもない。
「惜しいっ」
「どこがですか」
脳が無いのだろうか。
あ、いや、無いな。
「でね、ロドリゲスちゃん」
「宮園です。そんな南米っぽい顔してますかね私」
今訂正したところなのだが、人の話を全く聞いていないのだろうか。
「惜しいっ」
「どこがですか」
史上最速の再放送だ。
さっき全く同じ流れをやったはずだろう。
「でね、宮園ちゃん」
「宮園です……ああ、いや、合ってるのか」
「やーねえ宮園ちゃん、その歳でボケてるの?」
お前には言われたくない。
「……なんか私に対して当たりキツくない?」
当たり前だろう。
誰が悪霊と仲良くなるんだ。
「当たり前でしょう。自分が何なのか自覚してます?」
「美少女」
「死んでください」
「あちゃー、もう死んでるのよねー!」
ウザい。私の知ってる霊ってこんなんじゃない。霊っていうのは、もっとこう、おどろおどろしいというか、怨念がすごくて、出会ったらジ・エンドみたいなものだと思っていたのだが。霊感があると騙る中二病諸君の夢を壊すようだが、これが霊感のある者のリアルな日常なのだ。
悔い改めて眼帯と包帯を外してくれ、若人たちよ。
「そうは言ったって、実際美少女なのも死んでるのもその通りだし?」
どうだろうか。確かに幽霊らしい黒い長髪は綺麗なものだし、目鼻立ちも整っているかもしれない。
「美少女は自己申告制じゃないですから」
でもコレを美少女だとするのは私の哲学が許さない。そもそも実体ないし。
「多数決採ってもいいわよ」
「あの、数字数えれます? ここには二人しかいないんだから、一対一にしかならないでしょう」
本気で言っているのか軽口なのか、それも判別できない。
「なら呼んでもいいわよ」
「誰をですか」
「仲間の悪霊」
「は?」
世間ではそれを祟りと呼ぶ。
「悪霊は友を呼ぶ」
「ホモを呼ぶって!?」
扉が勢いよく開く。ばーん、という耳障りな音とともに、嵐のような先輩が飛び込んできて、私の肩を掴む。開口一番でそれか。
「……閨谷先輩、言ったのは私じゃなくてあの人……じゃなかった、あの怨霊です」
閨谷色香、という取って付けたような御誂え向きの名前をしたこの人もまた、オカ研の一員である。
「悪霊は友を呼ぶ、って言ったのよ」
「開く寮はホモを呼ぶ……男子寮で毎夜行われる爛れたパーリナイ……なるほど!」
「なるほどじゃないです」
何を理解したつもりなんだ、この変態は。
常にこんな感じなので応対にも気を遣う。自分まで変態だと思われてしまっては沽券に関わる。
「股間に関わる!?」
「モノローグに反応しないでください」
世界の摂理を無視しつつある。変態の力はどのような方法を以てしても抑えられないのか。
末恐ろしいことだ。
「だってオカ研って女の子ばっかりで男っ気が無いしー。どうする? 百合の園にする?」
閨谷先輩が、私の肩を掴んでいた手を離して私の頬へと添える。
「あら〜」
はしゃぐな悪霊。
「巫山戯ないでください」
とりあえず、手を払い除けてビンタしておいた。
「痛いっ!?」
「あらあら、殴り愛? ケンカップル?」
うるさいので十字を切ることにする。
「仏説摩訶般若波羅蜜多……」
「ぐわあああああやめてよおおおおお」
なるほど。
オカルトってのは、思いのほか適当らしい。
◇
「ここがオカ研の部室ですか」
「あ、まだ入っちゃダメだよ」
「なんでですか?」
「呪われるから」
「は?」
◇
悪霊の身体がやや透明度を増す中。
日本の標準時は五時を回り、いよいよ集合時刻なのだが、結局、二名の部員が遅刻するという事態に相成った。同級生の古賀、および部長の橘木先輩である。古賀はまだしも、部長が遅れてくるとは珍しい。般若心経を朗々と暗誦しながら(横で閨谷先輩がハモってきているのだが、私が知る限りでは般若心経は二部合唱ではなかったはずだ)そんなことを考えていると、また扉が騒々しく開いた。
墨汁で染めたのかと訊きたくなるほど真っ黒なドレス、イラストレーターに恨みでもあるのかというような随所のフリル、同じく黒とフリルで構成されたカチューシャ、巨大に加工された眼。……加工という表現は変だが、見る限りは加工にしか思えないということだ。多分化粧なのだろう。高度に発展した化粧は、加工と区別できない。
「セーフ!」
「アウトだよ、時間も格好も」
「大丈夫だよ、校内は段ボール被って隠密行動してたから」
「……だから袖とか汚れてるの?」
「……うわー! 大事な一張羅なのに!」
オカルト研究部二人目(三人目)のイロモノ、天然ゴスロリ娘でお馴染み古賀愛紗。
部内では唯一の私の同級生であり、クラスも同じであるため絡むことは多いのだが、春の遠足にてゴスロリに身を包んだ彼女と一緒に行動していたところ他のクラスメイトから避けられるという最悪の結果を招いてしまった。高校デビューはすっ転んでしまった、ということになる。
現在、私はクラスでこいつ以外に友達と呼べる間柄の人間がいない。やっべえ。私もこいつらと同じイロモノ枠へと進んでいくのか。合格者ーズ・ハイ(造語)に任せてオカ研なんかに入らなければよかった。
「そりゃ地を這えばそうなるわよ」
あ、悪霊がまともなこと言ってる。
「仕方ないよね! 這い蹲るのって興奮するし!」
「閨谷先輩と一緒にしないでください!」
私から見れば二人とも狂人なのだが、きっと他の人間から見たら私と彼女らも等しく狂人なのだろう。そう思うと涙がちょちょぎれる。私の人生はこんなはずじゃなかったのに。
高校に入ったら神だかなんだか呼ばれるようなイケメン集団に気に入られて耽美な恋愛物語を繰り広げる予定だったのに。これじゃあギャグにしかならないじゃないか。
オカルト研究会なのにSFはおろかホラーにもならないのだ。
「……あれ、部長いないんですか?」
「そうなんだよ、珍しいね」
頭はおかしいが時間には割と厳格な人だ、遅刻なんて珍しい。パンクでスピリチュアル、略してパンクチュアルな人間なのだ。
しかし、古賀の疑問符をこっそりと聞いていたかのように、ここで部長が部室に入ってきた。
「うーっす、呪われてたら遅くなった!」
……一生で二度と聞かないであろう挨拶と、禍々しい怨霊を伴って。
◇
「私は現世生まれ冥界育ち 悪霊な奴は大体友達」
「なにやってんすか」
「ラップ現象だけど」
「なめんな」
◇
「うっわ、憑かれてる」
閨谷先輩が若干楽しそうにも聞こえる声色でそんな風に診断したが、正直そんなことにあんまり詳しくない私でも一目見れば憑かれてるのはわかる。それくらいあからさまに悪霊だった。
「そして疲れてる」
「悪霊ほんと黙ってて」
「悪霊は黙っててください」
古賀と初めて意見が合った気がする。
「やめてよそういうの! 呪っちゃうぞ!」
「じゃあ祓っちゃうぞ!」
「やーん! ごめんて!」
あ、ナイスです部長。
でも多分先にそっちの完全に自我を失ってそうな足元の怨霊を祓った方がいいと思う。
「よいしょ、ちょっと隣ごめんねー」
私の隣の席に部長が座る。いやいや私素人だしそんな明らかにヤバさしかない怨霊近付けないでほしいんですけど。
ほらなんか足元からンボボボボオォって音聞こえるし。これ擬態語じゃなくて擬音語だったんだ。
リュックからノートと筆、ついでに何やら豪勢な数珠を取り出して祝詞らしきものを書き連ねる部長。巫山戯てるけど能力はしっかりしてるんだよなあ。
ただ、ノートを覗き込んだら「ニフラム」って書き連ねてたからやっぱり巫山戯てるんだと思う。ンボボボボオォ。
「っていうか、うるさいですねこの怨霊」
「大音量ってわけね!」
うるせえのはあっちの怨霊のようだ。閨谷先輩といい、皆さっきから駄洒落しか言ってねえぞ。
殴り書きの即席お札を足元の歪んだ影に貼り付けると彼とも彼女とも言えないソレは消え去り、どうやら除霊は成功したようだった。
「っていうか、なんでその場で対処しなかったんですか? 悪影響あるレベルでしょこれ」
そういえばそうだ。古賀は一般常識が足りないし天然だが、霊的なことに関しては私よりも鋭い。あんなに怨念マシマシな怨霊は秒で霊障を齎すだろう。
「めんどくてさ」
「えぇ……」
「靴の中に石ころが入っても放置したりするじゃん?」
「そのレベルじゃないですって」
「そうだよツバキちゃーん」
古賀が部長に突っ込んでいる隣で、閨谷先輩が私たちの囲む机にもたれかかって、スマホの画面を見せる。
っていうか、閨谷先輩は二年で部長は三年なのだが、余裕で下の名前呼びなんだな。やっぱり閨谷先輩は枠に収まらない。
「この部屋の霊的メーターが七桁を越えてたよー」
「ほんとだ、普段は八十万とかなのにな。割と強かったのかな?」
なんだよ八十万って。ここは黄泉の国だったのか。……いや、そもそも基準がわかんねえよとか、なんなんだよそのメーターはとか、突っ込むところはいろいろあるんだけれども。
「さて。全員揃ったことだし……」
「行くとしよっか、夏休み恒例!」
ここで、先輩(とは思えないが)二人が徐に立ち上がる。やっと本題が始まるのか。もう既に疲れたのだが……
「――肝試し大会っ!」
◇
「除霊できるってことは、部長って安倍晴明の血統とか……」
「いや、安倍晴明の守護霊の末裔だよ」
「ああ、なるほど……」
「……」
「……」
「……」
「……え?」
◇
「というわけで、やってきましたジョナサン!」
「ファミレスじゃん」
我々が部長の運転する車に乗せられて向かったのはオカルト界隈でも有名な近所の廃トンネル……だったはずなのだが。
「五名様ですね」
「おっ、見えるのねあの子。やるじゃない、御礼にクイックシルバーでもしようかしら」
「ややこしいことしないでください。見えてるんだから狂人にしか見えませんよ」
「ポテトひとつ」
自由奔放かよ。
っていうかなんでファミレスに連れてこられたのか説明が欲しい。その程度の不条理は悪霊がぺらぺら喋ってポテト食うことに比べれば大したことはないが。
「いや、まだ肝試しには早いでしょ。夜中に行かなきゃ」
「それまでは女子高生らしくファミレスでガールズトークに花を咲かせよーって魂胆よ!」
ガールズトーク?
このメンツで?
正気か?
「女子高生なんだから色恋沙汰の一つや二つあるでしょ?」
ねえよ。
このオカ研に入った時点で人間関係が制限されまくってんだよ。
「閨谷ちゃんはありそうねえ」
悪霊が変態を指さす。
「んー……あるにはあるけど、面白いものじゃないよ?」
割とみんなそういうのだ、そして得てして面白くはないのだ。恋バナってそういうものじゃないのか。
「出会い系サイトに登録したら姉と出会った話なんだけど」
「めっちゃ聞いたことあるからやめろぉ!」
堂々と盗作をするな。
「っていうか、愛紗ちゃんとかの方がありそうじゃーん?」
実際困っているのか……いや、困ってはいなさそうだが、閨谷先輩は黒い手袋の上からウェットシートで手を拭いている古賀にキラーパスを寄越した。
……っていうか、手袋拭いても意味ねえだろ。外せ。
「愛紗ちゃんって実家すっごい大きいし、ほらよく言うじゃん」
何かを思い出したらしく、爛漫と指を立てて。
「恋愛沙汰も金次第って」
「世知辛すぎません?」
古賀が突っ込みに入った。これは天然なのか、故意のボケなのか私には解らない。
故意かな。恋だけに。
やべえ。感染った。
「ポテトお持ちしましたー」
店員が大皿を持ってくるや否やひょいひょいと芋を持ち上げては喰らう霊。
……これ事件になるんじゃねえかな。
「私はないですよ、宮園ちゃんはどうです?」
古賀がこっちに受け流してきた。
「私の方がないよ、美形なんだから古賀ちゃんのほうがあるでしょ」
「さらっと口説いたわね?」
「やっぱ百合じゃなーい!」
変態と怨霊がはしゃいでいる。このくらいで大袈裟な奴らだ。実際のところ古賀は美形なので何のことはないだろう。
「……」
……と、隣の古賀の様子を窺ったら赤面して俯いていた。なんでやねん。
「ヒューッ! 部内恋愛じゃん!」
殺してやろうかこの悪霊。
死んでるから無理か。はっはー。
「私はヘテロなので……」
申し訳なさそうに古賀がゆっくりと顔を上げて、私から視線を逸らしたまま呟く。
それに引き続いて怨霊および閨谷先輩が残念そうにがっくりと肩を落とした。
「なんで私が振られたことになってんの!?」
流石に叫んだ。部長も黙々とポテト食ってねえで突っ込んでくれ。
「大丈夫よ、生きてればいいことあるわよ」
「怨霊に慰められたくねえんですよね!」
◇
「部室に霊が居たから追い払っといたわよ」
「コイツほんとに悪霊なんですか?」
「か、勘違いしないでよね! 私のテリトリーが狭くなるからなんだからね!」
「うわキッツ」
「なんだテメエ呪うぞ」
◇
日が暮れてきたので、いよいよ洞窟に向かう。オカルト系掲示板を見ても、そこそこヤバイと評判のようだ。
「んー、写真とか見る感じは慰霊の森とか犬鳴トンネルよりマシだよ」
とは部長の談だが、そもそも比較対象がそのレベルなのがおかしい。
「ま、僕から離れなきゃ危険はないと思うから安心して行こうね」
離れたら危険なのかよ。
「私もいるから大丈夫よ! 霊力ならこの子に負けてないわよ!」
てめえは向こう側だろう。
そんな与太話もそこそこに、やって参りました岩屈木トンネル。
「うー、今になって怖くなってきました……」
隣で古賀が身震いをしている。夏休みにそんなゴスロリ着てたらむしろ暑いと思うが。
しかしかくいう私も、トンネルに近付いてくるにしたがって嫌な予感がしてきている。それはプラシーボなのか、それとも。
「ところで……まだトンネルにはあと数分かかるんだけどさ」
酷く汚れて白線も消えかけているアスファルトに沿ってハンドルを左に切りながら、バックミラーを一瞥して部長が話し始める。
「それにしちゃあ霊多くない? もう三人もいるじゃん」
最初からクライマックスじゃねえか。
「ええっ!? もう居るんですか!? エロイムエッサイム、エロイムエッサイム……」
「古賀ちゃーん、それはむしろ呼び出すほうだよ」
古賀がパニック気味に呪文を唱えるが、逆効果だろうそれは。閨谷先輩に突っ込みを入れられるって大概だぞ。
「あーでもこのレベルなら皆は平気だと思うよ」
「スカウターでも付いてんですか部長は」
幽霊にも分類とレベルがあるというのはわかるが、それを一見しただけで見分けるのは素人には難しい。明らかにヤバイとかならまだわかることもあるが、無能力者がそれに気付いた頃には手遅れなことも多いだろう。
私は部員の中では最も霊的な感覚や経験に疎い。古賀や閨谷先輩は私よりはかなり霊的な部分には強いが、たぶんそれでも霊の力量を測ることはできないと思う。
だからそういう点において部長は圧倒的だ。実際のところ、我々は後ろではしゃいでる悪霊(なんだかんだずっと絡んでいるが、まだ名前を知らないことを今思い出した)がめっちゃ強いということは知っていても、その実力の真価は全く知らないのだ。
たぶん、その力量がわかっているのは部長だけだ。
本気を出したら我々などひとひねりかもしれない。
「いやー、今はツバキちゃんが封印してるから人間を呪い殺すとか無理だとおもうよー」
だから閨谷先輩はモノローグに話しかけてくるな。なんだ、ただ霊感があるだけではなくてテレパシーまで持っていると主張するつもりなのか。
「やだー、できるわよその程度。やったらそこの腐れ外道霊媒師が私を無理矢理消滅させるだろうからやらないだけで!」
「おっ、よくわかってんじゃん!」
「物騒が過ぎませんか?」
一応は命の危険と隣り合わせなのだ。我々オカルト研究会は遊びではない、死を覚悟して活動しているのだ。そのへんは水泳部と同じかもしれない。
……違うに決まってんだろ。
「はい、到着したよ。例のトンネル」
「名前覚えなよー」
「岩屈木トンネルでしたっけ?」
いわくつきトンネル。そのまんまの名前のトンネルだが、数々の霊現象が報告されている廃トンネルだ。そもそもここまでの道もそうなのだが、もはやここは使われていない。近くに県道が走っているので、みんなそこを使うのだ。
「えーと、まだ大丈夫だね。その辺に霊もいくつか浮いてるけど、これは自我も危ういレベルの泡沫みたいな魂だから大丈夫。塩だけ持っといて」
これまで散々モノホンの霊現象を見てきたから疑わないが、セリフだけ聴いたら本当に胡散臭いなこの人。
新興宗教の一角かな?
「先に釘刺しとくけど、私にはかけないでよ?」
「……」
「……」
「……」
「入っていこうねー」
「いやマジだからね!? めっちゃ痛いからね清められた塩って!」
なんなら今この瞬間に祓ったほうが世のため人のためなんじゃねえかなとも思うけれど、部長がさっさと祓ってないところにも理由があるかもしれないし放置しておこう。
しかし悪霊が実際にそう言うのだから、この装備はなかなか心強い。先頭に部長がいるのもそうだ。車を路肩に停めて、閨谷先輩、古賀、私、怨霊の順にトンネルに入っていく。中はものものしい雰囲気で暗く、先は見通せない。
三歩ほどすると閨谷先輩が懐中電灯を付けて、真横を照らした。
◇
「閨谷先輩ってなんでオカ研にいるんですか?」
「色情霊を探し……」
「それ以上言わなくていいです」
◇
居た。
青白く髪の長い、いわゆる幽霊らしい幽霊が上の方から吊り下がっていた。
何に吊り下がっているか? それはわからない。しかし確かに吊り下がっていたのだ。
「わ、わあああっ」
目の前で素っ頓狂な声をあげながら古賀が腰を抜かし、その場に崩れ落ちた。私も慄き、動けないままに数秒が経過した。
「……何やってんの、詠」
「あ、バレた?」
長い前髪をかき分けると、お馴染みの悪霊がヘラヘラと笑いながら現れた。てめえマジでふざけんなよ。
そう言って怨霊は列の最後尾に戻った。ほんと今すぐにでも塩をトン単位で投げつけたいところだ、塩漬けにしてやろうか。
っていうか、『詠』っていう名前だったんだ。ほんとに部長とこの怨霊ってどういう関係なんだろう。私が入部した時には既に居たのだけれど。
「あんまり大声を出すと霊を刺激するからやめるように」
基本的な心霊スポット巡礼のマナーを繰り返しながら、部長は後ろを一度振り返って真面目な表情で注意を喚起した。そりゃそうだ。
「霊っていうのは常世に何かしらの未練がある故に現世に残ろうとする思念なわけ。そこまで大きな思念ってのは恨みとかの負の感情ばっかりだからね」
「逆に、そういうのじゃない霊ってどんなんが居るんですか? もしかしてそこの騒がしいバカ幽霊も実は……」
部長の解説に、誰も見てないのに小さく手を挙げて質問してみる。正直めっちゃ怖いので、喋って誤魔化してないと気が狂いそうだ。
「私は怨念だよ?」
らしさが皆無なんだけれども。
「恨みなんて無さそうですけどね、毎日が日曜日って感じ」
「舐められてる? えーっとね、青春できないままに人生を終えたのが未練で」
「舐められて妥当じゃないですか」
その程度の気持ちでどうして強い悪霊になれるんだ。
「楽しそうに部活に打ち込んでる子達を恨んでたんだけど、そこの何とかいう外道に封印されて振り回されてんのよ」
「だって霊をいたぶるのって楽しいし、ここまで明瞭にコミュニケーション取れる霊って珍しいし」
……それは、少し、ほんの少しだけだけれど、この悪霊に同情するかもしれない。たぶん、自らの意思で冥界に行くことも叶わないのだろう。
諦めることも断たれたのだろう。それならば、その状況を無理矢理にでも楽しもうとするのは、案外、わからない話でもないかもしれない。
「だからずーっとその子のことは呪ってるのよ」
「そうみたいだね、血圧は上がるしすぐ骨折るし胃は荒れるし、散々だよ」
じゃあ解放すればいいのに。
っていうか、それは霊障なのか?
生活習慣じゃないのか?
「ツバキちゃん、解放してあげるつもりはないのー?」
「無いねえ、飽きるまでは。まだ試したいこともあるし」
一番危険なのは霊よりも部長かもしれなかった。
結局のところ人間が一番怖い、なんてありがちなオチだ。そんなことを思いながら、今私達の居るここが心霊スポットであることを半ば失念していたのも束の間。しばらくして、私は早くも前言を撤回することになる。
◇
「死因は何なんだっけー?」
「……誤嚥よ」
「赤ちゃんかよ」
◇
やっぱ霊は怖い。何が怖いって、その不可避性、その不条理性がメインだろう。そしてその危険性がアクセントになる。
「ねえ……」
古賀が震えた声で何かを言い出した。
「人の声……聞こえませんか……?」
私達はいよいよトンネルの半分を過ぎ、反対側の出口に差し掛かろうとしていた。
しかしながら懐中電灯で照らすとわかるのだが、反対側から出ることはできない。何者かによって、出口(入口と言ってもいい)が封鎖されているのだ。その向こう側に何があるのかは、通常の手段では知りえないと思う。山道をかき分けて進めばわかるかもしれないけど。
「……こ、今度は私は何もしてないわよ!」
背後から悪霊の声。
そして周囲から怨霊の声。泣き声……? いや、独りごちている声かもしれない。私にはぼんやりとしか聞こえないが、確かに何者かの声がしている。
ついに「出た」のか。
「危ないっ」
その瞬間、閨谷先輩が叫んだ。
ちょうど閨谷先輩の左に数歩くらいの場所に、鉄パイプ……鉄柱? のようなものが落ちて耳障りな音を立てた。
「……悪意ありますね」
思わず私はそう反応した。古賀が前で震えているのが見える。私よりも強く何かを目視しているのだろう。
「この奥の出口の所に一番強いのが立ってるね、うわーこれは強いなー、下手したら詠より強いよ」
「もっと早く言ってくださいよ! もうすぐそこじゃないですか!」
「私より強い!? ……オラ、ワクワクすっぞ!」
「冥界一武闘会すんのやめてもらっていいですかね」
閨谷先輩と部長すらわりと真面目なのに(そこそこ危険なのが分かりきっているから)この悪霊だけはずっとこの調子だ。突っ込むのに頭のリソースを割いてる場合じゃないような気もするが、性だ。
「塩を準備して。接触するよ」
部長がそう言った瞬間に、笑い声が前から後ろへと駆け抜けていった。
「ひいっ!?」
「……今のは別の低級霊だよ」
跳梁跋扈じゃん。そう思いながら、数珠を右腕に巻いて、塩を包んだ袋を取り出した。
さて出口に近付き、私にもはっきりとその人影が認識できるくらいになって。
女性だった。
またしてもウチのと同じく長い黒髪の女性が座り込んでいた。
……幽霊って長髪じゃないといけない決まりでもあるのか。
「ああああああああああああ」
唸り声。しかし前の霊に動きはない。これは別の霊なのだろう。いったいどんな謂れがあるのか、奥に進めば進むほど霊の動きが活発になっている。
「う……あ」
前方から声。これはきっと、彼女だろう。
「殺す……殺してやる……! 邪魔をするな……!」
そう言って、やおら立ち上がる女性の霊。
ヒュッ、と古賀の喉が鳴った。危ない。精神が弱っている人間に幽霊が入り込むこともままある。部長がいる限り大丈夫だろうけれど、いちおう古賀の横に移動して、手を取ってやることにする。
「邪魔なんかしてないよー、成仏しなよー」
閨谷先輩は怖がる素振りを見せていないが、私から顔は窺えないので実際のところはわからない。
「殺す……!」
その刹那、後ろでガシャン! と喧しい音が鳴った。
振り返る。
お馴染みの悪霊。そしてその向こうに、さっきの鉄柱。
ひえー、と悪霊が長い息を吐いている。
「飛んできたわ、いやーこれ私いなかったら宮園ちゃん死んでたわよ」
緊張感のない声と口調だが、冷静に考えるとやっべえ状況だ。見たところとんでもない恨みに駆られているようで、他のものを動かしたりできるらしい。地縛霊かどうかはわからないが、そうでなければこんなのが外をうろつくことになる。
それは、避けたい状況だ。
「うーん、喋れるかな? 名前は?」
部長は臆せずさらに前へ。
私は後ろを警戒して、時折振り返る。悪霊も周囲を気にしているようだった。
まあそりゃあそうだ、引っ掻くような音、叩くような音。影のような揺らめきもちらほらと見受けられる。
嫌すぎるだろ。
「殺す……!」
「何を恨んでるの?」
「殺す……!」
「ダメだこれ、祓おっと」
数珠を巻いた右腕で女性の腹部を思い切りぶん殴る部長。これには部員もドン引き。幽霊を殴るって新感覚すぎやしないか。当たるわけない、と思っていたのだが、ぼうっ、という音とともにその女性の霊がその場に頽れる。
「ごはぁっ……な、なに……!?」
普通に喋れるんかい。
面食らったその霊は部長を見上げて硬直する。
「悪霊は祓う、当然じゃん」
「ま、待って待って、なんでもう一回拳を振り上げてるの、っていうかさっきから色々仕掛けてるのになんて効かないの」
めっちゃ喋るやんけ。
さっきまでのコミュニケーションの取れなさは演技だったのか。演技派だな、テレビの怖い話の再現のオファーとか来るんじゃないか?
「そりゃあ、僕だし、装備もあるし」
すげえ自信だ。いや、この人の場合は根も葉もあるのが凄いところでもあるけれど。
「……んじゃあ、二発目――」
「待って勘弁してめっちゃ痛いから! っていうか幽霊に物理ダメージで勝とうとするの意味不明だからね!?」
この幽霊、どうも常識人っぽい。
仰る通りだもの。
「えー、でも取り憑いたり危害加えたりしてたでしょ? さっきの鉄柱とかさ」
「怖がらせたいだけなんですって! そりゃあそうでしょ、そんなにいっぱい死者が出てたら噂になるでしょうし、貴女がたも自由に入れなくなってるでしょ! ほんとは全然危害とか加えてないんですよ!」
……言われてみればそうだ。確かに非常に危ない心霊スポットだとは書かれていたが、死者や怪我人なんてことは全く書かれていなかった。
「なんで怖がらせるのさ」
「せっかく幽霊になったんですもん!」
……あー、これ、うちの悪霊と同じパターンかな。振り返る。目をキラキラさせてる。
ここまで来れば、あとの展開は予想できようものだ。
部長がその場に座り込み、じいっとその女性の霊と目線の高さを同じくして覗き込む。
犬に触れ合う飼い主かよ。
「ひっ、な、なにするつもりなんですか……?」
「封印」
部長が身を乗り出して、霊の胸のあたりに手を当てて何か短く唱える。封印の術式?
そして後ろから悪霊の溜息。
「これであの子も外道の支配下よ、やーねー」
そんなこんなで、なんだか気の抜けた心霊探索は、あっさりとコンプリートしてしまった。
気絶している霊は部長がおんぶして、神経衰弱した古賀は私が手を引いて、車に戻ることにする。彼女が気絶してからは他の霊現象も起こらなくなったので、このへんの霊現象は彼女が元締めだったのかもしれない。
でもまあ、そのへんは。
部室に帰ってから細かく聞けばいい事だろう。
「うわ、駐禁貼られてる」
「オチが世俗的すぎるでしょ」
◇
「じゃあ市民に口なし?」
「ポル・ポトかよ」
◇
前書き的なやつ
ブログ的なあれです。しかし、SNSの普及した昨今、ただその日にあったことを記すだけのダイアリーなど需要がほとんどありませんね。今ほどはTwitterが普及しておらず、LINEも無かった(であろう)中学生の頃、僕を含めたクラスメイト達がこぞってブログを運営していたことが思い出されます。
アメブロ。
アメーバって言葉自体が懐かしいですもんね。
さて、ただのダイアリーならTwitterで十分なわけですから、こちらは140文字に収まりきらないようなことを書き記していきたいと思います。
つまり名前氏の長文置き場。興味がある人だけ、死ぬほど暇で暇で畳の目の数まで数え終わっちゃったぜって人は読んでみてはいかがでしょう。
……需要が無いのは一緒じゃねーか!